2024年に観たフィリピン映画

【ファントスミア（Phantosmia）】2024年

監督：ラヴ・ディアス
キャスト：ロニー・ラザロ、ヘーゼル・オレンシオ


　すでに退役している元レンジャーのヒラリオン・ザバラ（ロニー・ラザロ／Ronnie Lazaro）。彼は、キリスト教系民兵によるイスラム教徒の大虐殺に遭遇したり、上からの命令に従うことが国をよくすることであると信じて暗殺を実行したりという過去が原因となって、ありもしない悪臭に悩まされていた。実際には何も臭いがないのに、悪臭を感じるという「異臭症（Phantosmia）」にかかってしまったのだ。
　担当する精神科医は、かつての兵役生活を再体験し、さらにかつて体験したことを日記として書いていくことで解決する可能性があると提案し、ザバラは流刑地となっているプロ島での警備員の職に応募する。伝説的なスナイパーとして名声を得ていたザバラは、流刑地を管理するルーカス少佐（ポール・ジェイク・ポール／Paul Jake Paule）に歓迎されるが、彼が担当するゲートのすぐ目の前には、養女レイナ（ジャニーン・グティエレス／Janine Gutierrez）を監禁して売春させているナルダ（ヘーゼル・オレンシオ／Hazel Orencio）の経営する違法な食堂兼雑貨屋があった。それをなんとかしようとするザバラだったが、たびたびレイナを自分の別荘に呼びつけているルーカス少佐はナルダの店を大目にみるようにとザバラに命じるのだった。

　今年の東京国際映画祭で上映されたフィリピン映画はこの1本だけだった。
　モノクロで上映時間のやたらと長い映画を撮ることで知られるラヴ・ディアス監督（Lav Diaz）の作品で、もちろん今回もモノクロで、上映時間は246分と長い。だが、もうひとつの特徴である意味不明の場面、観ている人間の予想をはるかに上回る長回しの映像は、今回、きれいさっぱり姿を消している（意味不明というのはあくまでも私にとって。予想をはるかに上回るというのもあくまでも私の基準です）。もちろん、通常の映画に比べれば遙かに長いワンショット撮影の場面が今回もあることはある。詩人が自作の詩を延々と朗読するシーンもある。しかし、ラヴ・ディアス監督の映画に慣れた身にしてみれば、これはもうテンポのいい映画といっていいだろう。それよりなにより、意味不明の場面がまったくなく、しっかりしたストーリーがあることに驚かされる。ラヴ・ディアス監督の作品で、これほどまでにわかりやすい映画があっただろうか。
　かくして、246分という上映時間は、さほど苦ではなくなった。何度か意識が飛びそうになった瞬間がなかったとは言わないが、過去に観たラヴ・ディアス監督の作品に比べれば、楽勝といってもいいだろう。娯楽映画といってもいいぐらいだ。
　ラヴ・ディアス監督の作品は、ストーリーはあってなきがごとしという作品ばかりなので、どう終わるのかはまったく見当がつかない。「ここで終わるのかあ！」とビックリさせられることもある。だが、本作は驚くべきことに、ザバラがおのれの良心に従って行動するという、通常の映画で予想されるであろう展開をみせてエンドマークにつながっていく。ただし、その結果としてザバラの異臭症が治るのかどうかは描かれないまま映画は終わるのであるけれど。
　ちなみに、ラヴ・ディアス監督の『波の去るとき（Kapag Wala Nang Mga Alon）』の主人公であるヘルメス刑事も、過去の体験で精神をむしばまれて、それが皮膚病となって苦しめられるという設定であった。過去の体験によって異臭症となるザバラと重なっていることが興味深い。

　主役を演じるロニー・ラザロはラヴ・ディアス監督作品の常連俳優であるが、ふだんは犯罪組織のボスのような強面の役が多い役者である。本作のように、過去の自分と訣別すべく正義感を持って行動するような役はかなり珍しいのではないだろうか。
　雑貨屋を経営し、養女に売春をさせているナルダを演じているヘーゼル・オランシオもラヴ・ディアス監督作品の常連女優である。しかも、最近ではラヴ・ディアス監督作品のプロデュースも担当しており、本作でもプロデューサーのひとりとして名を連ねている。
　ナルダを演じているジャニーン・グティエレスは、自分が観たことのある作品は『Buy Now, Die Later』ぐらいのようだが、大阪アジアン映画祭で上映された『女と銃（Babae at baril）』では、Qシネマ国際映画祭で主演女優賞を受賞している。
　なお、本作のプロデューサーとして、ラヴ・ディアスを師と仰ぐポール・ソリアノ（Paul Soriano）の名前も発見。今年になって『Real Life Fiction』という作品を監督して、ミハイル・レッド監督の『Friendly Fire』、Netflixで配信の始まったゾンビ映画『アウトサイド』などのプロデュースを務めるなど、なかなか忙しく活躍しているようだ。

　ところで、東京国際映画祭でフィリピン映画が上映される際には、たいていゲストが来日することになっているのだけれど、2019年の『停止』以降、ラヴ・ディアス監督作品にゲストは来日していない。間にコロナ禍があったとはいえ、今年は誰かしらゲストが来てくれるものと思っていたのだが。ヴェネチア国際映画祭には、ラヴ・ディアス、ロニー・ラザロ、ジャニーン・グティエレス、ポール・ジェイク・ポール、ドン・アバイ、ポール・ソリアノらがこぞって現地入りしているようなので、これが映画祭の格の差というものなのだろう。